開発経緯

エスティ技研における洗浄 Solar-B推進室 中桐正夫、宮下正邦

 Solar-Bは太陽を観測する人工衛星である。宇宙空間に出て太陽を観測するため、地上での観測と違い、太陽が放つあらゆる電磁波を浴びることになる。地上観測では気にならない汚染が宇宙空間では大きな問題となる。衛星に搭載されたあらゆる構成要素からの宇宙空間でのアウトガスを予測し、衛星の運用期間のアウトガスが望遠鏡の光学素子をどの程度汚染するかを予測し、その範囲内に収まるよう厳しいコンタミ管理がなされた。
 光学素子、特にSolar-Bの光学望遠鏡の主鏡が汚染され、反射率低下を起こせば、それは主鏡の温度上昇を引き起こし光学性能が著しく劣化することになり、回折限界を達成した分解能を失うことになる。
 望遠鏡の構体、光学部品、光学部品の支持構造、接着剤、衛星バス部、太陽電池パネル、衛星・望遠鏡を太陽からの放射線から守るMLIと呼ばれる断熱幕にいたるまで衛星を構成するすべての部品についてアウトガスを最小限に抑えるよう手が打たれる。金属部品はすべて洗浄工程を経てクリーンルームに持ち込まれ、加熱してガスを放出できるものはすべてベーキングと呼ばれる脱ガス工程を経なければ衛星には組み込まない。また、衛星に組み込むための工具、治具類も例外ではない。工具、治具類についた汚染が衛星のフライト品に転写されたのでは意味がない。このためフライト品に触れる治具、工具類も洗浄、ベーキングを経る、そして衛星に搭載される機器はクリーンルームで組み立てられる。これらのコンタミ管理については、「写真で見るコンタミネーションとの戦い」に詳しく報告されている。
 ここでは、コンタミ管理の中の洗浄という工程について述べる。精密機器製造の工程の中で洗浄がいかに大切かは知る人ぞ知る技術である。世の中に洗浄を生業にした業者は結構存在している。われわれSolar-Bの開発チームは洗浄できるあらゆる部品を洗浄するのだが、漫然と洗浄業者に依頼するということはしなかった。
 まず、洗浄業者の選択から始まった。洗浄サンプルを洗浄業者に持ち込み、その工場の工程で洗浄してもらい、どの程度清浄になっているかTQCMを使って測定し、われわれが許せるアウトガス量になっているかを測定した。我々は8社の洗浄工場に当たり、各社の洗浄工程により、また同じ洗浄液を使っているにもかかわらずその出来栄えの違うことを知った。TQCM(Thermoelectric Quartz Crystal Microbalance)とは、水晶振動子センサーを使ったアウトガスの付着レートを測定するセンサーで、温度制御が可能である。衛星の各部は、太陽からの放射の晒され方により温度はさまざまだが、温度が低いほどガスは付着し易いので安全率を見込み、センサーの温度は予想される軌道上の温度より10度低く設定する。光学素子は特に厳しく水が付着しない程度の低温、-80℃に設定した

image005 2.jpg  右の写真が洗浄業者選定に使った洗浄サンプルである。洗浄効果をみるために、5個の貫通していない3mmタップが立てられた10cm角、10mm厚さのアルミニューム板である。このサンプルは後日、洗浄毎に洗浄サンプルと使用され、汚染によるトラブルに備えて証拠品として保管された。

 やっとわれわれの仕様をクリアできる洗浄工場が見つかった。その工場は横浜市港北区にある小さな町工場でエスティ技研という会社であった。エスティ技研は真空機器の部品を製造している関係で洗浄装置をもっており、日常的に洗浄を行っている会社である。Solar-Bの望遠鏡の一つであるOTA(光学望遠鏡)のメーカーは尼崎にある三菱電機通信機製作所である。尼崎で部品を製造するのであるから、三菱電機としては近くの洗浄工場で洗浄を行いたかったが、候補になった尼崎の洗浄工場の清浄度はわれわれの要求を満たすものではなかった。そこで製作された部品を横浜に輸送し、洗浄を依頼するわけだが、この工程に尼崎の三菱電機の技術者がその度に立会うのは無理があり、天文台の技術者が三鷹から横浜のエスティ技研に足掛け4年、100回以上通うことになった。
 衛星製作工程にあわせ、製作される部品がエスティ技研に輸送され、その到着する日時に合わせ横浜に通うことが続いた。当初、エスティ技研の工場の中に洗浄されたものを梱包するクリーンブースを作ることも検討されたが、クリーンブースに運び込んで梱包するより、洗浄されたものを受け取り、間髪をいれず輸送袋に入れる方法をとった。洗浄に立会い、洗浄された部品の員数管理を行い、ルマロイシートと呼ばれる汚染防止のシートで製作された袋に間髪を入れず袋詰めするため天文台の技術者が2人で対応した。そして三鷹の国立天文台の高度環境試験棟の衛星組み立て用クリーンルームに運び、組立作業に来ている三菱電機の検査担当者の検査を経て衛星に組み込まれた。
 洗浄される部品は実にさまざまで、重量が十数キロという重量物から、複雑な形をした部品、治具類、大小さまざまな形状のネジ類、厚さがミクロン単位のシムまであった。金属で加工されたものでも厚さ5ミクロン、10ミクロンのシムを扱うのは大変だった。これらのシムが何十枚という単位であり、これを洗浄し、乾燥させ、枚数を確認して袋詰めにするということを手際よくやる工夫をこらす。5ミクロン、10ミクロンのシムの水分をエアブラシで吹き飛ばそうとすればシム自身が飛ぶし、変形する。蒸留水の付いたままでの枚数確認は、表面張力で貼りついているので無理にはがそうとするとシムが変形するので、その場での枚数確認はせず、後日自然乾燥後に枚数の確認を行うことにし、迅速に作業を進め汚染させないことを優先させた。また直径1m以上、厚さ1mmというリングもあり、さすがにこのハンドリングには尼崎から三菱のエンジニアが駆けつけた。
 下の写真がエスティ技研で洗浄され、三鷹に持ち帰られベーキングするために小型真空チャンバーに入れられた洗浄品の例である。右下の写真の上部にある小さな丸い穴の開いた四角い箱がTQCMセンサーである。

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 衛星組立工程に合わせ製作される部品の洗浄は、洗浄工場の都合にお構いなしに進み、その無理な工程に対応し洗浄を引き受けてくれたエスティ技研には感謝するしだいである。
 Solar-Bは2006年9月23日6時36分、内之浦から完璧な成功裡の打ち上げで軌道に乗り「ひので」と命名され、順調に観測に向けての作業が進み、観測が始まった。このような厳しいコンタミ管理を経て打ち上げられた「ひので」の望遠鏡の光学素子は汚染されることなく、温度上昇もなく、回折限界の分解能をもった映像を送り続けている。
 Solar-B「ひので」の成功の影にはこのような小さな町工場の技術も貢献していることを忘れてはならない。
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参考ページ
写真で見るコンタミネーションとの戦い

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